乙子城(おとごじょう)
場所 備前国
岡山県岡山市東区乙子
築城者 宇喜多直家
築城年 天文十三年(1544)
主な城主 宇喜多直家、宇喜多(浮田)忠家
主な遺構 曲輪、土塁


歴史背景
 天文十二年(1543)頃に備前国東半分を支配する天神山城主・浦上宗景に仕え始めた宇喜多直家は、播磨の赤松晴政との合戦で戦功をあげたことにより、足軽30人と吉井川河口東岸に300貫の土地を与えられ天文十三年(1544)に乙子城を構えた。さらに功績を重ねた直家は5年後の天文十八年(1549)に新庄山城(奈良部城)に移り、乙子城は弟の忠家に任せるようになる。

 その後、直家が永禄二年(1559)に亀山城(沼城)に移ると、乙子城は城番を置くのみとなり、直家の備前平定が進むにつれ存在意義が薄れやがて廃城になったとされる。

乙子城遠景

城について
 乙子城は吉井川河口の東岸に築かれた連郭式の小さな山城(標高・比高47.8m)である。吉井川河口東岸を進むと、周りに高い山がないため近くに行くとすぐに分かる。規模から城というより、砦に近い形態だったと考えられる。登城道は整備されているため、本丸までは少し急だが難なく登ることができる。曲輪以外に遺構らしきものはほとんどみられないが、若き宇喜多直家がわずか30人の部下とともに創業した地というだけで訪問する意義がある。



「宇喜多直家 国とりはじまりの地」の石碑

乙子城西側を流れる長江川

乙子城登城口

乙子城登城口の鳥居

岩山で結構急斜面である。

登城道

乙子神社関連の建物でしょうか

登城道
綺麗に整備されている。

登城道

本丸
広さは狭いが30人くらいで守るなら十分な広さ。

本丸

「乙子城跡」

本丸から北西側の展望
吉井川が見える。

本丸から南側の展望
吉井川と千町川の合流点が見える。

二の丸に続く道

本丸から二の丸(乙子大明神境内)を望む

乙子城古図(現地案内板より)

戦国時代の乙子城周辺図(現地案内板より)


乙子城 関連年表
1544年(天文十三年) 宇喜多直家が吉井川河口の乙子山に城を構える。
1549年(天文十八年) 直家が新庄山城に本拠を移す。
直家の弟・忠家が乙子城主となる。
1559年(永禄二年) 直家が本拠を新庄山城から沼城に移すのに伴い、忠家も沼城に移る。
乙子城には城番が置かれる。
その後 宇喜多氏が岡山平野中央部に進出に伴い徐々に存在意義が薄れ、廃城となる。


乙子城跡 周辺図 スポンサーリンク
駐車場:空地あり。
最寄り駅:JR赤穂線「西大寺駅」

訪問年月:2007年5月




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