八浜城(はちはまじょう)
別名:両児山城

八浜城遠景
場所 備前国
岡山県玉野市八浜
築城者 宇喜多基家
築城年 天正八年(1580)
主な城主 宇喜多基家
主な遺構 曲輪、空堀


歴史背景
 天正七年(1579)宇喜多氏は毛利氏から離反して織田家重臣・羽柴秀吉の傘下となったため、以降毛利氏と激しく対立するようになる。そのため宇喜多直家は毛利氏の攻撃に備えて、天正八年(1580)基家に命じて八浜城を築かせた。しかし天正九年(1581)、直家が没すると、毛利氏の山陽方面を担当する小早川隆景は児島郡制圧のため常山城に進出し拠点とした。対して宇喜多氏は、宇喜多基家(直家の弟・春家の子)を総大将に八浜城を本陣とした。毛利軍は八浜城攻略のため、穂井田元清を大将にして常山城と八浜城の中間点にある麦飯山に陣城を構えた。天正十年(1582)二月、麦飯山近郊の柳畑で両軍は小競り合いから本格的な合戦に発展し、宇喜多基家が流れ弾により倒れたため宇喜多勢は劣勢になり八浜城へ退く。毛利軍は追撃するが、宇喜多勢は戸川秀安、岡豊前守、八浜七本槍と呼ばれる家臣たちの踏ん張りにより、毛利軍の追撃を撃退。

 その後、羽柴氏と毛利氏の和議によって毛利氏と宇喜多氏の領土境界が確定し、城の重要性も薄れ廃城となる。

「八浜城址」石碑

城について
 八浜城は南北に二つの峰があるひょうたん島のような両児山(標高約50m)の南側に築かれた丘城である。北側は児島湖(当時は児島湾)に接し、すぐ東側に金甲山、南東に常山城を望むことができる。城跡は小規模で現在は両児山公園として整備されており、散策しやすくなっている。合戦に備えて築かれた陣城ながら、主郭には空堀跡がくっきりと確認することができる。



南峰を望む

八浜八幡宮鳥居

八浜八幡宮本殿
両児山公園内の青竜山に鎮座。
池田藩主が代々に亘って崇敬した神社。

空堀跡
西から東にかけて張り巡らされていて、
しっかりと掘削跡を確認することができる。

空堀跡

空堀跡

空堀跡

本丸跡
公園としてきれいに整備されている

八浜城跡の斜面

城跡から望む金甲山
岡山・香川両県のテレビ放送の送信所がある。

八浜城跡遠景
手前の低いこぶが二つある山が八浜城跡。後ろの山が金甲山。


八浜城 関連年表
1580年(天正八年) 宇喜多基家が八浜城を築く。
1581年(天正九年) 宇喜多直家が岡山城で没する。
1582年(天正十年) 宇喜多氏と毛利氏の間で八浜合戦が勃発。


八浜城跡 周辺図 スポンサーリンク
駐車場:両児山公園の無料駐車場有り。
最寄り駅:JR宇野線「八浜駅」

訪問年月:2008年4月




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