1356~1361年(延文年間) |
山名師義が打吹山に城を築き、田内城より守護所を移す。 |
1500年代 |
打吹城の支配が山名氏から尼子氏に移る。 |
1562年(永禄五年) |
毛利元就が尼子氏の本拠・月山富田城を攻撃を開始する。この頃、羽衣石城主・南条宗勝が尼子氏を離反して毛利氏に属し、打吹城も南条氏の支配となる。 |
1566年(永禄九年) |
尼子氏の本拠・月山富田城が落城。尼子氏滅亡。 |
1575年(天正三年) |
南条宗勝が病死し、南条元続が家督を継ぐ。 |
1579年(天正七年) |
南条元続、毛利氏を離反し織田氏に属す。 |
1580年(天正八年) |
羽柴秀吉の但馬・鳥取城攻めに伴い、吉川元春が南条氏を攻撃し打吹城は毛利氏の所有となる。 |
1584年(正保元年) |
羽柴秀吉と毛利輝元の和睦交渉(領土境界交渉)により東伯耆3郡が南条氏に与えられ、打吹城も南条氏所有となる。 |
1600年(慶長五年) |
関ヶ原の戦いで西軍に属した南条氏は改易。中村一忠が伯耆国の領主となり、打吹城には城番が置かれる。 |
1609年(慶長十四年) |
中村氏無嗣断絶で改易となり、倉吉は幕府直轄領となる。 |
1614年(慶長十九年) |
安房の里見忠義が3万石の領主で倉吉に入封するが、打吹城には入城しなかった。 |
1615~1624年(元和年間) |
一国一城令により打吹城は廃城となり破却される。 |
1617年(元和三年) |
池田光政が因幡・伯耆32万5000石の領主として鳥取城に入る。重臣の伊木忠貞を倉吉の統治に当たらさせる。 |
1632年(寛永九年) |
池田光政に代わり池田光仲が鳥取城に入り、倉吉には重臣の荒尾氏が入る。その後も明治維新まで荒尾氏が打吹山麓に陣屋を構えて統治した。 |