萩城天守閣古写真 |
萩城を築城した毛利輝元像
毛利元就の跡を継ぎ、豊臣政権では中国地方8カ国
112万石を有したが、関ヶ原の役後37万石に転落。 |
二の丸南門跡付近
二の丸から本丸に通じる通路で石垣により曲がりくねっている。 |
萩城趾碑
本丸に渡る極楽橋手前に建つ。 |
手前が本丸の石垣、後方の山が指月山 |
内堀 |
本丸石垣の内側 |
天守台に上る階段 |
天守台から北西方向の堀 |
天守台から東方向の堀 |
花江茶亭
藩主の別邸にあった茶室を移築したもの。 |
指月山登上口
今回は登る事を断念。 |
東園跡
庭園であり藩主のくつろぎ所であった。
また、藩主自身がこの地で稲田を耕したと伝わる。 |
日本海
萩城は日本海に面しているため海城ともいわれる。
日本海なので海がきれいです。 |
潮入門跡
海側にあった門跡。 |
銃眼土塀
海側に向けて巡らされた銃眼土塀で
昭和40年に一部を復元。 |
外堀
城域の一番外側にあたる。 |
北の総門
萩城三の丸の東側にあたる出入口。 |
旧厚狭毛利家萩屋敷長屋(国指定重要文化財)
厚狭毛利家は毛利元就の五男・元秋の跡を継いだ八男・元康を始祖とする
毛利一門で、厚狭に約8000石の知行地を持っていた。
長屋の桁行は51.5mにもおよぶ。 |
旧厚狭毛利家萩屋敷長屋
内部を見ることが出来る。 |
萩城の模型
旧厚狭毛利家萩屋敷長屋の中に展示されている。 |
天樹院墓所(国指定史跡)
藩祖・輝元と夫人、そして殉死者1名の3基の墓石がある。 |
東光寺大雄宝殿(国指定重要文化財)
三代藩主・毛利吉就が建立。彼の死後、東光寺は毛利家の菩提寺となる。 |
東光寺毛利家廟所(国指定史跡)
萩藩主三代吉就、五代吉元、七代重就、九代斉房、十一代斉元と
各夫人10基ほか、枝葉近親者などの墓石、石碑、石灯籠
約500基が整然と立ち並ぶ光景は圧巻。 |
萩城城下町の風景
萩城城下町は昔ながらの街並みが残る。 |
松下村塾(国指定史跡)
わずか1年から2年半ほどであるがここで吉田松陰から教育を受けた
高杉晋作、久坂玄瑞、吉田稔麿、伊藤博文、山県有朋らは、
倒幕から明治維新にかけて大きな役割を担った。 |
高杉晋作誕生地
長州藩の反幕勢力の軍事的基盤となった我国初の身分を問わない
軍隊である奇兵隊を組織した高杉晋作の生誕地。 |
木戸孝允旧宅(国指定史跡)
木戸孝允(桂小五郎)は江戸に出るまでの約20年間ここで過ごした。 |