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新庄山城 (しんじょうやまじょう) 別名:奈良部城 |
新庄山城跡遠景 |
場所 | 備前国 岡山県岡山市東区竹原 |
築城者 | 不明 | |
築城年 | 1500年代前半 | |
主な城主 | 宇喜多直家、新庄助之進(中山氏家臣) | |
主な遺構 | 曲輪、土塁、堀切 |
歴史背景 |
新庄山城は亀山城(沼城)主・中山備中守の家臣・新庄助之進の居城だったと伝わるが、築城年代は不明である。 天文十七年(1548)頃、備前東部に一大勢力を誇った浦上宗景が新庄山城を攻めて、城は一旦焼失した。 天文十八年(1549)三月、宇喜多直家は主君・浦上宗景の軍勢として一族の砥石城主・浮田大和を敗死させ、その功績として新庄山城を宗景より与えられる。乙子城は弟の忠家に任せ、直家は新庄山城に居城を移した。 直家は新庄山城に約10年間居城した。永禄二年(1559)直家は、同じ浦上氏傘下で謀反の噂のあった亀山(沼)城主・中山信正と砥石城主・島村豊後守を主君・宗景の命により誘殺した。この功により直家は中山氏の居城だった亀山城を与えれ、居城を移した。後に直家が石山城(岡山城)に移った時に新庄山城は廃城になったとされる。 |
北麓の登城口にある「新庄山城跡」の石碑 |
北麓の登城口にある鉄石神社の鳥居 |
登城道(上道公園側からのルート) |
城について |
新庄山城は、岡山市東部の新庄山(標高135m)に築かれた山城である。城の北麓に山陽道が通る交通の要衝に築かれた城で、東側麓には砂川が流れ天然の堀となっていている。砂川の約2km上流に宇喜多直家の後の居城となる亀山(沼)城がある。 新庄山城跡の登城道は北側の上道公園側鉄石神社の鳥居から頂上を目指すルートと三徳園から頂上を目指すルートの2ルートがある。上道公園から頂上を目指すルートは頂上まで近いが、狭い道で急な坂道となっている。三徳園から頂上を目指すルートはハイキングに適した道でそこそこ広く歩きやすくなっている。 |
登城道(三徳園側からのルート) |
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先に新庄山城本丸跡が見える |
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新庄山頂上・本丸にある鉄石神社 新庄助之進と伊予前神寺の分霊を祀る |
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本丸跡の標柱には「宇喜多直家ゆかりの城」とある 本丸は狭いので大した軍勢は配置できそうにない |
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新庄山頂上から東側を望む 下に砂川が見える |
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新庄山頂上から北側を望む 平島方面の眺めが良い |
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天然の堀だったと考えられる砂川(下流方向) |
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砂川(上流側) |
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新庄山城跡遠景(三徳園からの眺め) |
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新庄山城跡遠景(砂川上流側からの眺め) |
新庄山城 関連年表 |
1500年代前半 | 新庄山城の築城時期と推測される。 亀山(沼)城主・中山備中守家臣・新庄助之進の居城となる。 |
1549年(天文十八年) | 春、乙子城主・宇喜多直家とその主君・浦上宗景が協力して、砥石城主・浮田大和を敗死させ、直家は恩賞として新庄山城を与えられ入城する。 |
1559年(永禄二年) | 直家は亀山城主・中山備中守と砥石城主・島村豊後守を宗景の命により誘殺し、その功により亀山(沼)城を与えられ入城する。 |
1570年(元亀元年) | 直家、金光宗高の石山城(岡山城)を乗っ取り、居城を移す。この頃新庄山城が廃城となったと考えれる。 |
新庄山城跡 周辺図 | スポンサーリンク |
駐車場:上道公園駐車場・三徳園駐車場(無料) 訪問年月:2004年4月 |
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