塩冶掃部介墓所
(えんやかもんのすけぼしょ)

  場  所: 島根県安来市広瀬町富田

塩冶掃部介の墓所

 文明十六年(1484)、尼子経久が守護代の職を免じられ追放された後に目代として月山富田城に入城したのが塩冶掃部介といわれる。しかし文明十八年(1486)、塩冶掃部介は月山富田城で正月の祝い中、尼子経久に急襲され討たれてしまう。その塩冶掃部介の墓と伝わる墓石が新宮谷にひっそりと残っている。地元の人たちはこの墓を「荒法師」と呼び、みだりに荒らすと祟りがあると言い伝えているそうだ。



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